小学館「小学六年生」で紹介のHP、アダルトに接続(YOMIURI ON-LINE記事)

小学館「小学六年生」で紹介のHP、アダルトに接続(YOMIURI ON-LINE記事)

子供に見せたくないサイトがあるならフィルタリングソフトでも導入すればいいのに。

子供は好奇心旺盛だから[1. いや、最近の子供がそうなのかは知らないけど]そこにリンクがあれば、それも普段禁止されているであろうアダ ルトサイトのものであればクリックしてしまうのは想像に難くない。だがそれはWWWを使う以上必ずついて回る問題だろう。学習雑誌に掲示されたURLで表 示されるサイト上にアダルトサイトへのリンクが存在するということは問題ではないと思う。問題があるとすれば、そのようなサイトに対するアクセスを制御す るソフトウェアが存在するという事実を保護者が知らないことにあるのではないのか。[2. 俺自身はフィルタリングソフトの導入には反対であるが、導入したいという保護者の要求は理解できる]

同月号を購入した保護者の1人は「インターネット絡みの事件が問題になっているのに、小学生が読む雑誌にわざわざこういう記事を掲載するとは常識を 疑う」と憤慨。

そう思うのであれば自らの手で子供を保護しなければ駄目だろう。Googleでちょっと検索しただけで用意にアダルトサイトに接続できるのが現状な のだ。小学六年生ともなればごく普通に検索サイトを使いこなし、自分のWebページを持っていると考えた方が良いのではないか。それを前提として、子供に 見せたくないWebページをフィルタすべきではないのか。出版社に抗議して謝罪を得、今後このようなことがないようにする、という出版社の言葉に満足して いては駄目なのだ。

Webサイトは垂れ流し状態のTVや雑誌と異なり、見せたくないWebサイトとしてフィルタすることも(完全ではないものの)可能であるのだから、 むしろ保護者の努力に期待したい。フィルタリングとは何を是とし、何を非とするのか、その価値観の決定に他ならない。フィルタリングを通じて、この価値観 を保護者は子供に示すべきだろう。何を見せるべきかの決定を他人任せにしていて良いわけはない。

なお、インターネット絡みの事件とはおそらく佐世保の小学生による同級生刺殺事件のことを指すのであろうが、あれは別にインターネットを利用しなく ても起こりうる事件であった。掲示板やチャットというネットワークを使い慣れていない人から見れば目新しいかもしれないが、要は交換日記や授業中のメモの やり取りの延長に過ぎない。自分に理解不能な事象を、新たなデバイスに原因を求めて安堵してしまうのは結果としてより問題を大きくする行為だと思うのだ が。