“スクールカースト/いじめがない学校は偏差値が高い” – REVの日記 @はてなを読んでいて、高校時代はいじめを見聞きしたことが無かったな、と思い出す。
我が母校は県立校の中では上位に位置したが、校則というものをろくに感じさせない校風であった。生徒会が発行している[1. 今でも発行しているのだろうか]用語集に「空き授業」(選択科目の都合で生じる空き時間)と並列して「空け授業」(さぼり)が堂々と掲載されてる段階で推して知るべし。
また、制服も存在したが、男子は学ランの下は無法地帯、女子はそもそも制服を着ていないことが多かった。女子の場合、正式の制服はジャンパースカートなのだが、20年前でもやぼったく感じたせいか、中学時代のセパレートの紺プリーツを着用している人が多かった。
これだけゆるゆるの世界だといじめに至るストレスは受けにくかったのではないだろうか。
俺の世代は団塊Jr.そのもので、大学受験もすさまじい競争になってはいたが、大学受験は学内という狭い世界で争っていても仕方が無いので、成績の上下でカースト化することはなかった。心配されることは多かったが。[2. 俺は勉強しないで勝手に落ちこぼれていた]
いじめ – Wikipedia
スクールカースト – Wikipedia

 

YOMIURI ONLINE

フィルタリングソフトの導入もやむを得ないかなぁ。教育を行う側の措置としては当然とも言えるか。爆発物の製造方法は日本で生活する上で全く必要な いだろう。

フィルタリングは実に微妙な問題で、基準をどこに求めるのか、その基準を無批判に受け入れていいものなのかなど、理想的には各個人に合わせて設定し た方が好ましいと考えている。更に追求すると、フィルタはない方がいいとも考えている。これは以前にも述べた

(続く)

 

日本は数学6位、読解力14位に転落 OECD学力調査(asahi.com)

記事から引用しよう。

読解力は、文章や図表を理解して利用し、熟考する能力と位置づけられ

考えるというプロセス自体を教えてないんじゃないの?[1. 教育現場では教える余裕が無いということも考えられるが]

最近の若者は表層だけしか見ないで反応している、なんて話がどこかにあったと思うが[2. ソース紛失…最近読んだばっかりなんだが、はて、どの記事だったか]読解力は他者が記したものから論理的に意 図を読み取る能力だから、だれでも持っているべき能力だと考える。と、いいますか、持ってないと話にならないんだよ。会話にならないというか議論なんて出 来ないのですよ。依然としてトップ水準とか言ってる場合じゃないんだよ。

読解力を伸ばす訓練はやはり読書が一番手っ取り早い。でも感想文なんか書かすな。それを義務化すると苦痛になるからな。むしろハリポタなどの人気作 をどこが面白かったか徹底的に語り合わせるんだ。似たような感想ばかりにならないように司会役の大人がいるな。この辺を教師に求めるのは酷なのだろうか。 家庭でもいいんだけどさ。

…あー、漫画でもいいことに気づいた。表現形態が異なるだけで、意図を読み取る訓練にはなるだろう。単純なギャグ漫画ではだめだが。また、漫画だけ では文章を読み解くことに慣れないので、やはり読書も必要だろう。内容を理解するという訓練なので質よりもむしろ量をこなすことが大切なんだが。

 

某ネットバンクでのお話(TOTOROの自堕落日記記事)

…。ま、この程度でしょうな。関心のない人にはまったく理解してもらえないというのがセキュリティだと思ってます。

で、当然関心を持ってもらえるように動くのがセキュリティ業界に関わる者としての当然の動きだと思うのですが、画期的なアイデアなど早々簡単に出る はずもなく。

前にも書きましたが、読み飛ばされると何の効果もないのですよ。こんな小さなサイトは言うに及ばず、TOTOROの自堕落日記で あろうが、高木 浩光@茨城県つくば市の日記であろうが、セ キュリティホールmemoであろうが読む気になってくれなければ(そして一次情報源もちゃんと確認してくれなければ)何の意味ももたないというの が文章の弱点なんですよね。

TVCMのように見ているだけでインパクトのある、関心を持ってもらえるような手法はないものか。[1. 犯罪厳禁]

 

ホームページ、チャットは何歳からやらせるべきか(PRESIDENT Online記事)

末尾の一文は俺の意見と一致する。

学校まかせにせず、今、親自身が子どもを守るという、高くて積極的な意識が必要なのです。

自分の子供を自分が守らなくて誰が守ってくれるというのか。教育もまた然り。自分が教えたいことはやはり自分で教えるしかないのではないか。

ただし、俺自身はありとあらゆる情報を遠慮無く子供に与えるべきなのではないかと考えているので、年齢制限を付けるという考え方には反対する。全て を見せた上で親がフォローした方がいいのではないのだろうか。

もっとも物理的[1. 時間・空間的に。仕事中に子供のやることを見守ることは出来ないもんなぁ]にそれが出来ないので最初から制限 しろというのであれば首肯せざるを得ないのだが。

義務教育を受けている年齢ではまだ幼すぎて判断能力も低い。いちいち教育する立場の人間が子供の考えを聞き、明らかな誤りは正しながら「考えるこ と」の重要さと思考法を学ばせなければそこから先が続かないと思うのだ。そして、何よりも真摯に子供の疑問と向き合ってやらなければならない。適当な答え では納得してくれないだろう。どんなに難しい回答であっても正直に答え、その答えを導く方法を教えていく必要がある。

繰り返しになるが、そこまでの細やかさで子供を指導できるのはやはり親なのだと思う。それが教育ではないのか。

 

アダルトサイトにつながる情報掲載で「小学六年生」を回収(ITmedia記事)

回収ですか…。

子供に与える情報は取捨選択すべきと言う主張自体は理解できるが、これがインターネットがらみとなると非常に難しい。

今回の例で言うと、誌上に掲載されたURLにアクセスするとアダルトサイトへのリンクがあるサイトに繋がっていたらしいが、これが「誌上のURLで 示されるサイト」→「別のサイト」→アダルトサイトというリンクだった場合はどうなのか。間に別のサイトが入っているから良いのか。子供に与える情報を制 御するという観点からすれば一切見られないようにすべきであって、アダルトサイトへのリンクがあるサイトは却下というルールでは実現不可能なのではない か。リンクをたどればいつかは到達可能だと思うからだ。

現実的にたとえば5回以上HOPしなければならないというルールを定めたとして、その妥当性はどこが評価するのか。サイトが更新されて新たなリンク が出来たときまで責任を負わなければならないのか。

上記の疑問故に、俺は制御するならローカル(学校、家庭)で行うべきであって、アダルトサイトなどへのリンクがある、などという理由で掲載しないと いう選択を批判する。学習雑誌であるということであれば、直接アダルトサイトやヘイトサイトなどへのURLがなければそれでいいと思うのだ。そこからどこ に通じているのか、例えどこに通じていたとしてもそれを制御することが目上の人間の義務だと思う。やはり他人任せで、批判すればいいものではないと思う。

 

小学館「小学六年生」で紹介のHP、アダルトに接続(YOMIURI ON-LINE記事)

子供に見せたくないサイトがあるならフィルタリングソフトでも導入すればいいのに。

子供は好奇心旺盛だから[1. いや、最近の子供がそうなのかは知らないけど]そこにリンクがあれば、それも普段禁止されているであろうアダ ルトサイトのものであればクリックしてしまうのは想像に難くない。だがそれはWWWを使う以上必ずついて回る問題だろう。学習雑誌に掲示されたURLで表 示されるサイト上にアダルトサイトへのリンクが存在するということは問題ではないと思う。問題があるとすれば、そのようなサイトに対するアクセスを制御す るソフトウェアが存在するという事実を保護者が知らないことにあるのではないのか。[2. 俺自身はフィルタリングソフトの導入には反対であるが、導入したいという保護者の要求は理解できる]

同月号を購入した保護者の1人は「インターネット絡みの事件が問題になっているのに、小学生が読む雑誌にわざわざこういう記事を掲載するとは常識を 疑う」と憤慨。

そう思うのであれば自らの手で子供を保護しなければ駄目だろう。Googleでちょっと検索しただけで用意にアダルトサイトに接続できるのが現状な のだ。小学六年生ともなればごく普通に検索サイトを使いこなし、自分のWebページを持っていると考えた方が良いのではないか。それを前提として、子供に 見せたくないWebページをフィルタすべきではないのか。出版社に抗議して謝罪を得、今後このようなことがないようにする、という出版社の言葉に満足して いては駄目なのだ。

Webサイトは垂れ流し状態のTVや雑誌と異なり、見せたくないWebサイトとしてフィルタすることも(完全ではないものの)可能であるのだから、 むしろ保護者の努力に期待したい。フィルタリングとは何を是とし、何を非とするのか、その価値観の決定に他ならない。フィルタリングを通じて、この価値観 を保護者は子供に示すべきだろう。何を見せるべきかの決定を他人任せにしていて良いわけはない。

なお、インターネット絡みの事件とはおそらく佐世保の小学生による同級生刺殺事件のことを指すのであろうが、あれは別にインターネットを利用しなく ても起こりうる事件であった。掲示板やチャットというネットワークを使い慣れていない人から見れば目新しいかもしれないが、要は交換日記や授業中のメモの やり取りの延長に過ぎない。自分に理解不能な事象を、新たなデバイスに原因を求めて安堵してしまうのは結果としてより問題を大きくする行為だと思うのだ が。

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